法学の修士論文の場合、判例や裁判例が無いテーマでは私たち修士レベルでは書けないと個人的には思います。今回は修士論文のテーマについて書きます。
なぜ判例を題材に使うのか?
そもそもなぜ論文の題材に判例を使うのか?
意見が対立しているからです。
意見が対立しているからこそ、論じる=論文を書く意味があります。
判例や裁判例を読んだ人はご存じだと思いますが、ある法律の問題点をめぐって原告と被告の意見が対立しています。
もし、意見が対立しておらず、どちらかが100%正しいのであれば、裁判にはなりませんし、それを書いたところで法学の論文として成立しません。というか、判例や裁判例を1つも扱っていない税法の論文や文献を今まで見たことはありません。
法的に問題があるから、裁判になる。特に最高裁まで争う場合には何か問題があると言うことです。
ですので、もし自分が書きたいテーマについて、判例や裁判例が無い場合は「疑問に思っているのは自分だけでは?」ということになります。
大学院によっても異なりますが、研究計画書を提出する大学院入試の時点では、そのテーマで論文が書けるかどうかまでは見ていない場合もあります。無事にそのテーマで大学院に入学できたからと言って、そのテーマで論文が書けるとは限りません。
指導教授のアドバイスには素直に従う
大学院入学後は必ず指導教授に自分の論文テーマとその内容を伝えてアドバイスをもらってください。
教授は今までの指導実績の中で書けそう書けなさそうと判断しています。
教授と違う意見があれば、議論したりすることは大切ですが、指導教授が難しいというのであれば、それはテーマ選びに問題があるということですので、指摘された場合には素直を従った方がいいです。
余談ですが、議論してもけちょんけちょんにされます、それが論文指導です。
ダメ出しを沢山される中で自分の論文が少しずつ出来上がってきます。ダメ出しされるのはツラいですが、指導教授も少しでも良い論文を書いて欲しくて指導してくれているので、そこはどんどん教授にぶつかっていきましょう。
書けないテーマで進めても結局は書けない
書けないとテーマで進めても、どこかで頓挫します。
それなりの文字数を書いたテーマを没にするのはかなりキツいです。
私もM2(大学院2年目)の夏に題材は変えずに論文の流れを大きく変更したことで、論文をほぼ一から書き直しました。
一から書き直すのは精神的に辛かったですが、今思うとあのときに軌道修正して良かったと思っています。
書けないテーマではいくら頑張っても書けません。
書けないというのは、法学の論文として成立しない=教授が修士論文として認めてくれないという意味です。
私たち大学院生は修士論文という山頂に向かう登山初体験者です。そして、指導教授は経験豊富で優秀なプロ登山ガイドです。その優秀な登山ガイドが「その登山ルート(論文テーマ)では山頂(修士論文完成)までたどり着けないよ」とアドバイスしてくれているのに、道なき道を突き進みますか?
指導教授が認めてくれないと大学院修了ができない、つまり税法免除の申請もできません。繰り返しになりますが、指導教授のアドバイスには素直に従ってください。