学生時代や20代の頃は憧れる先輩が居ましたが、40歳になった今はそのような先輩が居なくなりました。なぜ憧れる先輩が居なくなったのか?を、書いてみます。
私は先輩にはなれないし、先輩も私にはなれない
以前に勤めていた会社では、仕事ができる先輩がカッコいいと思って憧れていた時期もありました。当時は先輩に早く追いつきたいと思って必死に頑張っていたと思います。
ですが、仕事を覚えて経験を積んでいくと、「先輩のこの部分はいい部分だけど、この部分はちょっと良くないなぁ。他の部分では自分の方が勝っているのでは?」と思うようになりました。
よく若い女性がモデルや有名人に憧れて何でもかんでも真似する方がいます。気持ちは分からなくもないですが、それはそのモデルや有名人の単なるコピーであって、その人自身のオリジナルではありません。
有名人と同じ服、同じカバン、同じ店で食事‥‥単なるコピー人間です。既にオリジナルは別に存在しているので、少々表現がキツくなりますが、真似するコピー側の存在価値がありません。コピーではその人自身の良い部分が何も出てきません。
オリジナルで自分自身の価値を表現する
私が憧れる先輩が居なくなったと感じ始めたのは、私自身のオリジナル、独自性がぼんやりと見え始めたきた頃です。
自分の目指すところが見えてきた事が、タイトルの憧れる先輩が居なくなった原因だと思います。
人間それぞれの良さ、欠点があります。同じ人間は1人として存在しません。
どこかのイラストレーターがアイディアをパクりまくって問題になっていましたが、イラストなんてその人のアイディアが一番表現できるものなのに、どうしてオリジナルで勝負しないのでしょうか?
このトレパク騒動には技術的な問題も色々あるようですが、素人の私がこの方の作品とパクリ元の作品を見比べても、この方は何の為に作品を作ってるのか?と思ってしまいました。
修士論文作成時にも指導教授から何度も「著名な先生や最高裁判例が言う事と全く同じ考えなのか?君たちはどう考えるのか?」というアドバイスがありました。
論文では様々な文献から文章を引用します。正しい引用方法をすれば良いですが、勝手に文章をパクると剽窃(ひょうせつ)と言い、絶対にやってはいけない禁じ手です。剽窃する人もオリジナルで勝負できていないように思います。
このホームページも私自身がWordPressを使って日々文章を書いています。大した内容ではありませんが、世界中のどこを探しても同じホームページはありません。
拙い表現があったり、誤字脱字があったりもしますが、それも含めて私自身のオリジナルのホームページですので、少しでも見ている方に竹岡の事が伝わればよいと思っています。